2015年1月26日月曜日

和菓子のある風景 2014年版


昨年撮った写真を眺めていたら、

季節、空間、その時々のことを思い出し、

シアワセな気持ちになった。




1月は、「花びら餅」で始まる。




















母を連れて行く病院の近くに<白妙>という和菓子屋さんがある。
季節の花をかたどった練りきりが美しい。
月一度、そこへ立ち寄るのがとても楽しみになった。






































浅草のお土産。黒糖の味わいが好き。
<亀十>の「松風」。











2月、雪に埋もれた茶室でいただいた、金沢<吉はし>の菓子「松」。
















この日も、雪だった。
茶室でいただいた千歳船橋<東宮>の織部まんじゅう「早蕨」。



















友人からのいただきもの。究極の「いちご大福」。
















3月、雛人形を飾った茶席で。太宰府<藤丸>の「清香殿」。
大徳寺納豆のしょっぱさが淡い甘味を引き立てる。






































<口福堂>の「いちご大福」。
苺の愛らしいさをひきたてる形。
















4月。神田川沿いでのお花見の帰りに、友人の店<とうわカフェ>で。
干菓子は<両口屋是清>の「二人静」。





























上野の国立博物館でのお花見のあとはこちらへ。
神楽坂の甘味処<紀の善>で。



















京都<本家尾張屋>の「そば餅」。
銀座三越地下2階・菓遊庵で購入。
















5月。端午の節句は、やはり柏餅。<口福堂>のもの。



















母の日に母に贈られた和菓子。和菓子を包む紙も箱も美しい。







 
 
 箱根美術館の、緑に囲まれた茶室にて。
 
 
強羅公園内の茶室「白雲洞」で出合った、よもぎまんじゅう。
箱根のお土産として買い求めた。

















6月、神保町「亀澤堂」の「鮎」。
お店によって微妙に違う鮎のカタチと味。
店先で見かけると試してみたくなる。
庶民的な鮎もいれば上品な鮎もいる。
















神保町「さゝま」の「紫陽花」。新しい茶碗での一服とともに。




干菓子は「鮎」と「青楓」。同じく「さゝま」製。

















I先生の茶室で出合った「青梅」。



















歌舞伎座・寿月堂喫茶室にて。

























7月の暑い日、友人と目白駅前の<志村>へ。



















目白<志村>製。手土産に。
















8月の茶事にて。菓子の銘は「明けの露」。



















9月、日本橋三越本店6階<雪月花>にて、「抹茶みつまめ」。



I先生宅のお茶室にて、「こぼれ萩」。縁高に盛って。
 
 
10月、みなと区民まつり・増上寺会館の茶席にて。
干菓子は「かかし」「稲穂」。
 
 
これも日本製だから。「和菓子」の仲間入りをさせることにする?
北海道<六花亭>のマルセイバターサンド。
菓子器は、陶芸家・伊藤麻沙人先生作「カザルスの言葉」。
 
 
奈良・慈光院茶会・薄茶席(立礼席))にて。大阪<菓匠石州>製の「柚子の香」。



奈良から帰る日、骨董屋さんの店先で。
手作り和菓子と抹茶のサービス。
















長野に住む友人から贈られた菓子「初霜」。



















11月、いただきものの<鶴屋吉信>の菓子とともに、自宅で一服。


美術館で一服。
滋賀・ミホミュージアムで、「猪子餅」と。



12月、病院から自宅に戻ったところで、やさしい出迎え。
<松月堂>の「栗きんとん」。


























ここに並べた以外にも、昨年は、たくさんの和菓子たちに出合った。

和菓子は、色やカタチが様々で見ているだけで楽しい。

自然の恵みを受けた豊富な素材が使われているヘルシーさも

最近ではおおいに受けている。

また、和菓子をとりまく伝統や地域性なども合わせて味わうことできる。



さらに付け加えれば、「形の中に心がある」という日本文化の基本形が見つかる。

たとえば小豆は、厄除けの意味がある赤い食物として大事にされてきた。

餅を包む柏の葉は枯れても枝から落ちずに若い葉を守るから

親が子を守る気持ちを形にした、とも言われる。

和菓子にはこうした祈りや願いや感謝が込められ、古くから伝わってきた。

そんなことを思いながら語りながら、器を選び、茶を入れ、

小さなテーブルの上で、日常を離れるひとときを創り出してみたい。

そんなふうに思う。







2015年1月17日土曜日

千葉県鋸南町・菱川師宣記念館


記念切手になったことでも有名な「見返り美人図」の作者であり、
浮世絵を確立した「浮世絵の祖」と称される菱川師宣(ひしかわもろのぶ)。

師宣の生誕の地は、千葉県安房郡鋸南町である。

そこに建つ「菱川師宣記念館」(鋸南町吉浜516)に一度行ってみたいと
以前から思っていた。








































行きかたを調べているうちに、
開催中の企画展に、北斎の『登り龍』が展示されている(1/20まで)、
ということがわかったものだから、「今すぐ行こう!」という気持ちにまで
発展してしまった。

記念館は、JR内房線保田(ほた)駅から歩いて20分くらいの場所。

保田は、8月に訪ねた金谷美術館のある、浜金谷(はまかなや)のとなりの駅である。
鋸山の手前が浜金谷、山を越したところが保田である。
そう考えると、初めて訪れる場所だが、親しみがわいてきた。







































JR京葉線で蘇我まで行き、内房線に乗り換え、保田へ向かう。
11時32分に到着。














(保田駅の北方向に鋸山が見渡せる)














(保田駅)


















(駅前観光案内所)


 駅前の観光案内所に立ち寄り、地図やパンフレットをもらう。
そこで行き方をたずね、まずは「菱川師宣生誕の地の碑」のある場所へ行ってみた。
楢崎宗重先生(浮世絵研究の大家)の名が建立者として刻まれていた。





















海の深い色と白く泡立つ波頭を眺めながら、国道127号を歩いていく。
普段の生活の中ではなかなか味わえない、力強い自然の姿である。






































あとで、菱川師宣記念館で買い求めた絵はがきの中に見つけた、
広重の描いた「保田の海岸」。こちらも泡立つ波が印象的である。















(絵はがき:「房州名所 房州保田の海岸」歌川広重画)



師宣記念館前に着く前に、保田漁業組合直営食堂「ばんや」ですませた。

昼食をとる場所があるかどうか出かける前には心配していたが、
国道沿いには何件も食事できる店があり、
いずれも、新鮮な魚料理を食べさせてくれそうだった。













(ばんや日本料理館・海鮮ちらし御膳)




食堂を出てから5分くらいで、菱川師宣記念館に到着。







































(スロープを上がって左手が入り口)


記念館内は、ふっくらした面持ちの師宣美人の作品の他に、
豊国や国芳など、浮世絵師たちによって描かれた表情豊かな役者絵のコーナー、
暮らしの道具や着物の柄が詳細に書き込まれた美人絵のコーナーなどがあり、
充実している。

企画展では、伝岩佐又兵衛の作品から小林清親まで、時代を追って、
肉筆浮世絵画を並べている。
やはり、お目当ての北斎の登り龍は、想像上のいきものではなく、
実際に見て描いたのではないかと思えるほどリアルで立体的な龍の姿が描かれていて、
「さすが北斎、う~ん」と、うなるしかなかった。

師宣(1630頃-1694))は、江戸へ出てからも、故郷房州保田をこよなく愛した絵師。
「見返り美人図」(東京国立博物館蔵)の落款にも「房陽 菱川友竹筆」と入れている。




















(絵はがき:菱川師宣画)


国道沿いに保田駅に向かって戻る途中から右手(海と反対側)へ入っていくと、
ゆるやかな丘陵地帯が始まり、「水仙ロード」と呼ばれる道につながる。
















15時40分の列車に乗るまで、約1時間あまり、
早春の景色と表情豊かなスイセンたちを楽しむことができた。





人家の庭先にも、




石垣の上にも、




石垣を背景にして、


































石仏の周辺にも、





















積み藁と共に、

























菜の花畑とおばあさんを囲んで、





















暖かい斜面を選んで、
スイセンたちは、のびのびと茎や葉を伸ばし、
まあるい顔をお日様の方に向けて咲いていた。

 























春がもうそこまで来ている。



















「水仙ロード」は1キロも歩かなかったかもしれない。
少し名残惜しかったが、引き返して保田駅に向かことにした。

























室町時代末に創始し日本武尊が祀られている場所。
明治になってから保田神社と呼ばれるようになった、と記されていた。
































加茂神社の親しみやすい顔の狛犬たち。 

駅近くにも、見るべきものがものがいろいろあった。























滞在時間は4時間ほどだったが、
保田の文化も自然も、ぎゅっと身体の中に詰め込んで、
帰りの電車に乗り込むことができた。