2013年6月24日月曜日

司牡丹酒造「宇宙龍」と夏野菜カレー

野菜をたっぷり食べたくなった。
夏野菜を使ったカレーを作ることにした。

色のきれいな野菜を使おう。


















カレーに合わせるとしたら、
どんな日本酒があるのだろうか。
そもそも日本酒は合うのだろうか。

『日本酒の基礎知識』を開いてみる。

開いたところにあった「ミニボトルサイズ」が
気になったので、
リカーショップで、探してみたところ、
いろいろな姿かたちをした
魅力的なボトルがならんでいた。

そのなかで気になったのがこれ。


 







冷やしたミニボトルの酒「宇宙龍」は
フルーティで、ワインのような感覚で飲める日本酒だった。


 
ナス・カボチャは焼き、オクラはゆでて、ポン酢をかける。



























パプリカは、直火で真っ黒こげになるまで焼いてから水にとり、皮をむいて
さっと煮込む。ゆででおいたブロッコリも同じく。
豚肉と、よ~く炒めたタマネギは赤ワインでじっくりと煮込んである。






















旬のものを食すシアワセを満喫。


















デザートも、旬のさくらんぼ。満足満足。


 
 
 
 
 

2013年6月22日土曜日

台地と谷を歩く。小日向台地と音羽通り、そして江戸川橋へ


江戸という都市の道は、「尾根道」か「谷道」のどちらかである。

陣内秀信氏の本を読んで以来、地形を意識して
東京を歩きまわるようになった。

「江戸を足の裏に感じながら歩く」のは楽しい。























今日は、「椿山荘」をあとにして、
「目白台地」の尾根道である「目白通り」を、
西から東へと下り、

「音羽通り」との交差点、「目白坂下」まで歩いた。

左(北)には「護国寺」の伽藍が見え、
右(南)へ行けば「江戸川橋」。

「音羽通り」の向こう側に鳥居が見えたので、
通りを渡り、奥へと入ってみた。

江戸の雰囲気をまとった狛犬が迎えてくれる。























「今宮神社」は、護国寺建立の際には、護国寺境内にあったが、
明治の「神仏分離令」によって、この地に移されたそうだ。

神社の裏側一帯は切り立った高い崖になっている。
「小日向台地」である。

神社の脇にある、「八幡坂」を上がって、台地の上をめざす。



台地の上の道に至るまで、
急な傾斜の坂道と階段が、長く続く。
日常ここを使うのは大変そう。

ようやく平らな道になった。
細い道を進むと、左手に「鳩山記念館」の裏門が現れ、
敷地の裏、東側に沿って歩く
(裏門からはもちろん入れない)。

その先にある「鼠坂」(これもまた狭い長い坂である)
を下って、再び「音羽通り」へ。


 


門が音羽通り側にあるのでわからなかったが、
裏道を通ってみたおかげで、

「鳩山記念館」の洋館は、
高く盛り上がった台地に建つお屋敷である、
ということがよくわかった。

 












鳩山記念館の門を入れば、またすぐ敷地内の坂道がある。



 
































































洋館の美しい外観と内部のステンドグラス装飾を
ゆっくりと鑑賞したのち、

鳩山記念館の門を出て左へ。
 
「護国寺」には、また別の日に訪ねてみたい、と思いつつ、
「江戸川橋」方面へ向かう。
 
 
「音羽通り」は、「目白台地」と「小日向台地」に挟まれた谷地である。
今日、歩いて確かめることができた。
 
それならば、この低くなった場所には水が流れていたはず。
 
と思って、あとで調べてみると、
今は暗渠となって姿は見えないが、「音羽通り」に沿って
2本の川が流れ、神田川に流れ込んでいるらしい。
 
江戸時代、水源豊富だった、この地は紙漉きが盛んだったという。
 
 
そして、「江戸川橋」には関口という地名がある。
江戸時代に井の頭池を水源とする神田川が
ここ関口で2本に分水された。
 
水戸藩の屋敷を通って下町の武家地や町人地へ
流れていくものは「神田上水」、
飯田橋へ向かって流れるものは「江戸川」と呼ばれた。
 
その上にかけられた橋だから、「江戸川橋」。
 
 
江戸城からは少し離れた地ではあるが、
 
ここには、しっかりと江戸の要素が詰まっている。
そう感じることができた一日だった。
 





文京区目白台と関口周辺・永青文庫と庭園

春季展「細川三斎の茶」を観に、
文京区目白台にある「永青文庫」へ行った。


目白通りから胸突坂方面へ、道を曲がると、

右手には「和敬塾」の、左手には「野間記念館」「焦雨園」の、
緑が敷地からこぼれ出るように美しく、

まるで別世界への入り口であるかのよう。



その少し先にある永青文庫。

ここは、旧熊本藩主細川家伝来の文化財と16代当主・護立のコレクションを
収蔵・展示している美術館。








































門を入ると、緑生い茂るなかに、昭和2年築のレトロな建物があらわれる。


 
















細川三斎は、「七哲」と呼ばれた7人の千利休の弟子のひとり。
重要美術品たちが並んでいる。


















三斎の所持した品々が、今もその子孫の手により大切に管理され、
こうして一般公開されているなんてよく考えるとすごいことだ!

初代・幽斎(藤孝)からもう700余年を経ている。

三斎(忠興)は、3代。
明智光秀の娘、玉(ガラシャ夫人)を妻としたことでも名を知られている。
武人であり、美意識の高い人物。



























庭に出ると、また別世界への入り口が待っていた。
「新江戸川公園」へつながる門がこの先にあった。
























「新江戸川公園」は、今は文京区の公園になっているが、
もとは細川家下屋敷の回遊式泉水庭園である。


こちら側は神田川沿いの道から入る門。
園内は、地形の起伏を生かして作庭されている。




























園内の「松声閣」は細川家の学問所だった建物。

現在のものは、大正時代の築で、今は老朽化のため使用されていない。
つい最近まで、茶会などが開催されていたように聞くが…。








































「和敬塾」「永青文庫」「新江戸川公園」、この3つは、現在は所有が別々であるが、
もともと広大な細川家の下屋敷だった。

普段は非公開だが、「和敬塾」敷地内には、1926年築の洋館(旧細川侯爵邸)も
あるという。別の機会にぜひ見学をしてみたい。








胸突坂を挟んで、向こう側にある「焦雨園」「関口芭蕉庵」「椿山荘」。

こちらは、江戸時代には「上総久留里藩(今の君津市あたり)」の
黒田家下屋敷であったという。



胸突坂は、かつては屋敷と屋敷の境界でもあったのだ。
住所も、文京区関口になる。

















「焦雨園」内には、明治期に宮内大臣を務めた田中光顕(たなかみつあき)の
邸宅(1897年築)があるが、普段は非公開で門を閉じている。
茶会や呉服展示会、ロケなどの折には使っている。

西洋建築が流行ったこの時期に、田中光顕はあえて純和風建築を望んだそうだ。

思い出すのが、昨年訪ねた小田原文学館である。
洋館はゲストハウスに、和館は私的な住まいに使われたという。

小田原の写真を参考に載せておきたい。
















 
(小田原文学館 洋館と和館 撮影:2012/08/16)


坂本龍馬らとともに土佐勤王党として動き、
維新後には明治政府幕閣として引き立てられた光顕。
長生きし、晩年、小田原に移り住む。

南国の日差しを感じさせるような小ぶりな洋館と
自然の中になじんだ質素な姿の和館。
そのたたずまいから、光顕の思いがひしひしと伝わってくるようだった。
















(神田川側から見上げた胸突坂 撮影:2012/07/04)


胸突坂を下る途中左手にあるのが「関口芭蕉庵」入口。
下まで降りて、神田川沿いに立派な正門があるが、こちらは閉じている。

緑がとても深い。

他の庭園から比べれば小ぶりながら、
たくさんの種類の植物が身を寄せ合って、豊かな庭だ。

故郷の伊賀上野から江戸に出てきた芭蕉が、
神田川改修工事に携わった時に住んだ場所として、
芭蕉ファンの人々から今も大切にされている。



















ホテル椿山荘の庭は無料で開放されている。
神田川沿いの冠木門(かぶきもん)から入れば、
きれいに整備された庭園の眺めはさすが。


ここは、明治時代には、長州出身の軍人であり政治家でもあった、
山縣有朋(やまがたありとも)の屋敷だった。

江戸時代やそれ以前は、椿が自生する「つばきやま」と呼ばれた
景勝地であった。

有朋は私財を投じて、広大な庭園を整備し、「椿山荘(ちんざんそう)」と名付けた。

























庭園散策の途中のランチは、園内の蕎麦屋「無茶庵」を
お勧めしたい。






















美しい庭を遺してくれた山縣有朋。
日本美を深く愛した田中光顕。

二人に感謝。

二人は親友だったという。今は、ともに護国寺に眠る。





2013年6月19日水曜日

中目黒「楽屋 RAKUYA」 ジャズの夜

中目黒駅を出て、目黒銀座商店街を少し歩いたところに

「楽屋 RAKUYA」 という店があり、

今日は、そこでSarah&Hidezo-Bandのライブがある。

しとしとと小雨降る中、出かけた。










 
 
 
リーダーでドラムス担当のHIDEZOさん。
 
68才。
 
アマチュアだけど、ドラムス歴40年以上。
 
今日はじめてお会いした、
 
私の友人のご主人さま。
 
 
 
 
 
 
 
 
素敵な空間があって、
 
 
 
 
いい仲間たちと一緒に、
 

 
 
 
5年前に癌で亡くなったギタリストの友人に
捧げる曲もあり、
 
 

ジャズあり、ボサノバあり、たくさんの曲を演奏。
観客もスイング、スイング。
 
 
 
 
美味しいお料理と
 

 
 
お酒がある。
 



 
いいスタッフも大切。
 
 



何よりも、ゆったりと音楽を楽しむ姿が素敵。