2013年8月31日土曜日

両国・江戸東京博物館にて、企画展「花開く江戸の園芸」を観る


今日は、江戸東京博物館で「花開く江戸の園芸」展を観た。






















江戸時代、諸国から江戸へ上ってきた人々が、江戸で暮らすうち、

故郷の自然を懐かしみ、植物を育てたり、愛でたりすることが

盛んになった、ということはよく聞いたり読んだりしている話だ。

展覧会場では、そのことを示す絵画資料(浮世絵)の圧倒的な量に、

いかに江戸の人々の植物への思いが熱かったか、を改めて教えられた。

























このところ、内容の充実した企画展が続く江戸東京博物館へは、

2ヶ月に1回くらいの頻度で足を運んでいる。

しかし、そのたびに少し残念に思うことがある。



今日も日中は35度を超える猛暑日だった。

両国駅西口から博物館へと向かう道々には木陰も何もない。
















企画展会場に行くには、観光バスをとめる巨大駐車場の

脇の道を通る。

美しいものを見せてくれる美術館・博物館の行き帰りの道は

そこへ向かう時の期待とそこを去る時の余韻に満ちたものであってほしい。

まして今回は緑あふれる江戸文化を見せられたあとである。



帰りは、都営地下鉄・大江戸線両国駅の方向に歩いてみた。




































(撮影:2013/07/10)


駅までの道沿いには、大亀の上に立つ巨大な徳川家康像がある。

この像は江戸消防記念会から1994年4月25日に寄贈されたものであるという。

製作者は山下恒雄(1904~1994)。

台座の亀は水の都としての江戸を表現しているともいわれる。

この場所からは江戸の町は見渡せない。

家康はどんな思いでこの建物の側面を眺めているだろうか。
























江戸東京博物館の開館は1993年。

今年は開館20周年の節目の年である。

1983年、小木新造氏によって提唱された「江戸東京学」。

研究分野を越えて、江戸と東京を一貫して考えるという、

この考え方に基づき「江戸東京博物館」は実現した。

その後、常設展・企画展や子供たち向けのイベントは充実度を増し、

すぐれた研究成果も生まれている。

ここは、小金井の「江戸東京たてもの園」を含め、

都民の貴重な財産である。


隅田川や国技館との有機的つながりも設けながら、

ぜひ箱の外側にも、お江戸の空気感を作りあげてほしい、と思う。





人形町のフランス家庭料理の店

今日は日本橋人形町に用事があり、出かけた。
用事を終えて、時計を見ると、ちょうどランチタイム。

以前に食した親子丼の味を思い出して
甘酒横町の「玉ひで」をめざす。




















しかし、いつものことだが、「玉ひで」の入り口は、
この暑さにもかかわらず(今日は最高気温35度)、行列ができていた。

 















ここ人形町はこの「玉ひで」を始めとする、江戸情緒を残す店が多い。
来るたびに、「楽しく歩ける街」と感じる。


伝統を感じさせる店が点在する街を歩くと、
こだわりを感じさせる、新しい店もある。
通りを挟んで向かい側にある「シェ・アンドレ・ドゥ・サクレクール」は、
以前から気になっていた店である。


























今日は、この店に入ってみることにした。

ランチタイムとあって、1階はすでにいっぱい。
2階に通された。





















かつてパリ・モンマルトルで両親が経営していたカフェを、
「人形町松竹庵」の益川良雄さんとロランスさん夫妻が
お父さんの名前をつけて復活させた。

2008年4月のことである。

今日のPlat de jourは「カルボナード(仔牛のビール煮こみ」。
フランス家庭料理の素朴な味のもてなしがここ人形町で味わえて
嬉しかった。

グラスワインは、「テレス・ド・ギレム」(シャルドネ100%)、
南フランス・ラングドック地方のもの。
肉料理にも合う、しっかりとした味わい。
















ここ人形町にも、チェーン店は、やはり目立つ。
しかし、そのまにまに、古い店が頑張っている。

すき焼き屋、漬物屋、和菓子屋など。

水天宮をはじめ神社の数も多い。

















街には、着物姿の女性が目立つ。
これも嬉しい。



































呉服関係の問屋が多いからだろう。

この街を支える人たちが、いる。


















「人形町頑張れ」
思わす、そんな言葉を口にして、この街を後にした。













お土産は「玉英堂」のわらびもち。
大きく切った三角のかたちが個性的だった。




2013年8月28日水曜日

世田谷美術館で「榮久庵憲司とGKの世界展」を観る


世田谷美術館で開催中の「榮久庵憲司とGKの世界展」
(7/6~9/1)を観に、午後から出かけた。

田園都市線・用賀駅で降りる。



























世田谷美術館までは15分くらいのみちのりだったが、
深いグリーンが日差しを防いでくれ、、
敷石の表面に彫られた「百人一首」の言葉と文字をたどれば、
あまり時間は気にならない。














久々に訪ねた「砧公園」の緑は、
まるで広々と腕を広げて迎え入れてくれるかのよう。
気持ちがのびのびとする。




































展覧会のタイトルは「鳳(おおとり)が翔(ゆ)く」。







































キッコーマンの醤油びんを始め、生活の中のあらゆるものたちが並び、
展示空間自体がひとつのデザインになっていた。

GKのデザインは、常に生活の中、我々の身近にあり、
戦後から現代までの日本がってきた足跡のように見えた。



そして、「人と自然と道具の共生」を提唱する榮久庵が
たどり着いた世界は、作品『池中蓮華 2011』。

われわれを仏の世界へと導いてくれるのは、
色あせた木のお堂や仏像の古拙の微笑みだけではないのだ。
新しい素材を使い、現代のエネルギーやテクノロジーを駆使して
つくりあげた世界は、不思議な懐かしさを覚える浄土の姿であった。

その中を、ゆっくりと鳳(おおとり)が翔(ゆ)く。

これが、デザインの力なのか。

感動して、しばらくその場を動くことができなかった。



会場を出たところで、流れる映像の中、栄久庵自身が語る、
現代社会への警鐘。

「道具を作りすぎ使いすぎの世の中、
一つひとつの道具の価値を高めることにより、
人は精神世界を広げていくことができる…」。

栄久庵には、街も住まいも生活空間は道具であふれかえり、
人々がアップアップしている姿が見えてくるのであろう。

選び抜いた道具だけを側に置こう。
人は、価値ある道具によってのみ、育てられ磨かれるのだから。




美術館を出た。

すでに十分な感動をもらっていたが、
少し欲張って、世田谷美術館分館に立ち寄ることにする。

環八沿いの停留所からバスで、千歳船橋駅へ。
小田急線・成城学園駅から徒歩3分の住宅街の中に、
世田谷美術館分館「清川泰次記念ギャラリー」はある。














清川泰次(1919~2000)の住まいとアトリエであったところが
2003年からギャラリーとして公開されている。























清川泰次の絵は、縁あって20代の頃にたくさん見ているが、
彼が得意な写真の腕を生かして撮影した
「モンパルナスの藤田嗣治のアトリエにて」(1954)を
見たのは初めてだった。
藤田68才、清川35才。
藤田に会った時の清川の喜びが伝わってくるかのようだった。



























閉館時間が気になり急いで2館を回ったので、
昼食をとっていなかった。





















成城学園前駅近くの店で、
夕方の通りを足早にゆく人々を眺めながら
早い夕食をとった。
今日の日を振り返りながら寛ぐには、ちょうどよい窓辺の席。
充実した美術館めぐりのあと、ワインも爽やかに感じた。



2013年8月25日日曜日

赤坂みすじ通り・珈琲専門店「コヒア アラビカ」


赤坂見附の駅を降りると、
駅ビルや駅周辺の商店街の変わりように驚く。

街が、その役割やそこに住む人たちの要望によって、
変わっていくのは仕方がないことだ。

だから、その変容を、できるだけ受け止めたいと思い、
古い街も新しい街も、美しいカタチは写真に納めてきた。

しかし今日は、歩きはじめてシャッターを押したいと
思う瞬間がなかなか見つからなかった。

ようやく、撮りたいと思う店に出合った。
「コヒア アラビカ」である。

赤坂の街に残っている、いまは数少ない職人堅気の店である。
46年間、赤坂で営業し続けているという。



入り口からすぐ始まる階段を降りていく。
店は地下にある。






































磨きこまれたこの木製の階段を、たくさんの人がいろいろな思いを抱え、
通ったにちがいない。

メニューはコーヒーのみ。

食事を済ませて立ち寄った私たちに、
マスターが勧めてくれたのは「ウィンナーコーヒー」。





















ほんのり甘いコーヒーは
食後の一杯として、確かに、満足感が大きかった。

ゆっくり飲みたいと思ったが、
美味しくてすぐに飲みほしてしまい、
次は、迷ったすえに「モカ・マタリ」を注文した。




















浅く炒った白っぽい豆でいれてくれるコーヒーの
香りや味には独特のさわやかさがあった。


人生の半ばを過ぎた齢の仲間たちはコーヒーに酔いながら、
ここ赤坂という場所で新しい文化を吸収した、
若かりし頃の話に花を咲かせた。












同年代のマスターもいつの間にか話の輪に加わっていた。

Kさんは、草履を買うのはいつも赤坂。
足に合わせてすぐに鼻緒をすげてくれたという。
懐かしそうだった。

























赤坂見附駅で降りるのは、
ほとんどサントリー美術館行くときに限られていた…。
そんな学生時代、私にとっては、赤坂と言えば大人の街。
敷居が高かった。

あれから、何度も足を運んでいるけれど、
今日ほど大きく落胆を感じた日はない。

『東京江戸歩き』(文春文庫)の
文庫版あとがきのなかで、
ニューヨーク滞在の経験から、
著者の山本一力がこう語っている。


(ニューヨークの)摩天楼の谷間では、
いまも個人商店が商いを達者に続けている。

変化も激しいが、時の流れなど屁でもないと言わぬばかりに、
微動だにせぬ個人商店が、なんと多いことか。

江戸の興りは、ニューヨークとまったく同じ「移民」にある。
徳川家康は慶長8(1603)年に江戸幕府を開いた。
そして諸国から大名を江戸に呼び集めた。
大名は家臣のみならず、職人や商人、
ときには農夫や漁師まで引き連れて江戸に出た。
膨大な人数の移民が大名の領地から江戸に移住した。
そしてお国文化を競い合った。
ニューヨークも同じ道筋を歩み、
諸国の文化がマンハッタン島を中心に深く根付いた。

大型アイロンが蒸気を噴き出すクリーニング屋。
あるじは中国系にしか見えないのに、
「チャオ」とラテン系のあいさつをくれる。
この息吹が、かつては東京にもあった。
いや、数が少ないがいまもある。

自分たちの町に店を残すのも。
住んでいる町を生き残らせるのも。
どちらも、その地に暮らす住人の心意気である。

もうこれ以上、町から商店街や個人商店が失せるのは、
断じて御免だ。


赤坂を歩いて、同じことを感じた。
一人ひとりの顏が違うように、
一つひとつの店には、個性的な品や技やもてなし方で
訪れる人たちを出迎えてもらいたい。

個性的な店は個性的な街をつくり、
街は人を元気にする。

没個性的でばらばらな印象の街は悲しい。



「コヒア アラビカ」のような店は他にもまだ残っているはずだ。
そうした店を起点にして、新しい、でも赤坂らしい息吹きが生まれ、
広がっていくことを信じたい。

なぜなら…
街のありようは人々の心を映しだすものだから。

このままであってはならない、
という思いが重なり合い、変わっていってほしい。




2013年8月18日日曜日

アサヒビール大山崎山荘美術館を訪ねる


奈良駅で夕方3時半に待ち合わせる約束があったが、
東京を朝早く発った。

京都で過ごす時間を作り、
以前から行きたいと思っていた美術館へ行くことにしたのだ。

JR山崎の駅は、京都から東海道線・各駅停車に乗って5つ目、
15分くらいで着く。

















関西に住む人は、「山崎」と聞いて、
あぁあのあたりか、とわかるのかもしれないが、
「山崎の合戦」という言葉は浮かんでも、
地理的なことについては、ぴんとこなかった。

山奥かと思っていたが意外に近いところだったのだ、という印象。

駅に着くと、目の前に美術館への送迎バスが来ていた。
バスに乗れば、あっという間に美術館に着く。
歩いても10分くらいの距離かもしれないが、
急な坂道があるため、バスがあって助かった、と思う。

ここは天王山。
羽柴秀吉と明智光秀の天下分け目の戦いがあった場所だ。
美術館入り口でバスを降りると、
「秀吉の道」という看板が目に入った。
天王山を登るハイキングコースにつけた名前だそうだ。
入り口のトンネルをくぐってから、建物に着くまで
さらに坂道を上り、庭園の横の道を通り抜けて行く。





 
 
「流水門」と呼ばれている門を通り、
ようやく見えた建物は英国風のたたずまい。
美術館本館である。
 
 












別荘として、加賀正太郎が自ら設計した建物である。




















加賀正太郎(1888~1954)は、証券業をはじめ多方面で活躍した実業家。
趣味人としても大きな業績を遺した。

アサヒビール初代社長・山本為三郎と深い親交があった。
この縁が現在の「アサヒビール大山崎山荘美術館」へと受け継がれている。














山荘は周囲の山に抱かれて建っている。
テラスから目にする眺めは川の流れや遠くの山と空を取り込んでいる。

この位置関係が素晴らしい。








































本館からつながる新館は安藤忠雄の設計。
こちらは、美術品を展示するためのスペースとして増設された部分である。

モネの睡蓮の色彩やミロの彫刻の不思議な造形は貴重な作品群である。
しかし、その印象もかすんでしまうくらい、
この趣のある山荘の存在感は圧倒的だった。






最後に庭に降り立つと、繊細さとおおらかさ、和と洋、品格と遊び心。
相反する要素を巧みに取り入れた作庭に魅了され、
時がたつのもすっかり忘れていた。

夢のような時間は過ぎ、
奈良に向かうため再び京都駅に舞い戻った。


 



2013年8月15日木曜日

市川海老蔵 第1回自主公演ABKAIを観る


市川海老蔵の第一回自主公演ABKAIの舞台
(渋谷シアターコクーン8/3~18)に、足を運んだ。
初日から13日目、仕込みがよければ、
味がしみこんで美味しくなっている頃のはず。
さて?楽しみな舞台である。





















席に座って周りを見回すと、
さすがの海老蔵人気。チケットは完売のようだ。
夏休みということもあり、渋谷という場所柄もあり、
歌舞伎座に比べると年齢層は若い。
「歌舞伎を知らない若い人たちに見てほしい」
という海老蔵のメッセージは、まずは、届いているのかもしれない。




















歌舞伎十八番の『蛇柳』は、
能がかりの重々しい幕開きには意表をつかれた、
しかし、藤間勘十郎の振付・演出による舞台は、
やがて華やかな舞踊場面に変化を遂げ、
歌舞伎らしい様式美の世界へと導かれ、幕切れに…。
歌舞伎の深い味わいを感じとれた作品であった。
















注目の新作歌舞伎、『疾風如狗怒涛之花咲翁物語』。
以前から「日本の昔話を歌舞伎として仕立ててみたい」という
海老蔵の思いに、宮沢章夫の脚本というベースがあり、
宮本亜門の演出という味付けがあり、
いままでに見たことのない舞台に仕上がっていた。

とくに最後に、花が次々と咲いていく様子には、
誰もが気持ちよく花見気分を味わえたのではないだろうか。
海老蔵の舞台には「観客と一体になりたい」という思いがあふれている。
それがもっとも伝わってきた幕切れだった。
絶妙に用意されていた「カーテンコール」によって、
役者と観客の間はさらに近いものになり、幕は閉じた。

海老蔵は三役を演じ分け、そのうちの一つが白い犬という設定。
日本昔話の素朴なストーリー展開のせいだろうか、
すっかりリラックスして観ていた。そして、終わってみれば、
「シロ」の健気さがこちらの心の中にじんわりと広がってくる。
伝えたいものがソフトに伝わる、という狙いは成功しているのでは?












金とピンクの配色が目を引く、シンプルな装丁の「筋書」、
家に帰って改めて開いてみると、
海老蔵のなみなみならぬ覚悟のようなものが伝わってきた。


井上ひさしの『手鎖心中』(文春文庫)の解説で、新作物を演じる気持ちを
昨年亡くなった勘三郎が次のように書いている。

「歌舞伎座のあちこちに棲んでいる私の父とか名優のおじさんたちとかの
魂魄が、こ~んなに顔をしかめて(笑)、どっと近寄ってくるのがわかる。
いえ、こういうのはまた別なんですよ、でもこれも面白いでしょ?なんて
言って、さっさとそこを通り抜けるんですけどね」



























海老蔵の挑戦はまだ始まったばかりである。