2016年6月15日水曜日

上野で、アフガニスタンの流出文化財に出合うとき。


今日は曇天。空気は少しひんやりと肌寒い日だった。

上野の藝大美術館の陳列館へ向かった。
NHKのニュースで紹介され、絶対に観たいと思っていた展覧会
「アフガニスタン特別企画展・バーミヤン大仏天井壁画~流出文化財とともに~」
(2016/4/12~6/19)を観るために。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 















大学時代に受けた「東洋美術史」の講義では、
仏教美術史学者・林良一先生(1918-1992)が、
ご自身の著書『シルクロード』をテキストとして熱弁され、
毎回、好奇心をかきたてられ、わくわくしたものだ。

文化には、西も東もない。国境もない。
文化は、流れて行きかい、時を経て混ざりあい、変容する。
そんなふうに感じた。

その中で出合った、
バーミヤンの大仏とカブールの国立博物館の美術品の数々。

いつの日か現地で相対してみたい、と夢見ていた。
 
2001年3月、タリバンによる大仏爆破のニュースが流れる。
さらに続く、美術品の破壊と略奪!
衝撃だった。

それから15年の時を経て、こんな形で出合えるとは思わなかった。

陳列館1階には、石窟の大仏が爆破される前の写真「早春のバーミヤン」
(1973年3月28日撮影:麻生秀穂)大きく展示されていた。


西の大仏と東の大仏を、今現地に住むイスラム教の人々も、
「おとうさん」「おかあさん」と呼び、親しんできたという。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 














 

 
 

 

戦乱を潜り抜け日本に辿りつき保護されている仏像の頭部や壁画の断面も
小さなものばかりではあるが、多数展示されていた。

 




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 















































































































































陳列館2階へ上がった。
「天翔る太陽神」のこのパネルの向こうに、実物大の復元壁画があった。








































東の大仏の石窟天井に描かれた壁画を復元したものが展示された下で、
ちょうど、東京藝大客員教授・井上隆史氏がマイクを握って解説をされていた。
狭い会場内にはぎっしり人が入り、みな静かに解説に耳を傾向けている。

壁画には明らかにギリシャ神話の影響が見られ、図の上部に描かれた風神は、
遠く日本にまで辿りつき、俵屋宗達の『風神雷神図』につながる、という。







































復元壁画の部分。
























































すでに現物は跡形もなく失われてしまった文化財を、写真資料などから
復元する「クローン文化財」の技術、そして、このプロジェクトをなしえた
人々の心はすばらしい。


 
 

「素心」。それを一番体現してこられたが、故平山郁夫氏であろう。



繊細なガラス器。



仏教の美術品は、われわれ日本人には身近な存在、親戚のようなもの。
よくぞ残っていたくれた…。









藝大美術館の後は、国立博物館・表慶館で開催中(4/12-6/19)の
「特別展・黄金のアフガニスタン~守りぬかれたシルクロードの秘宝~」会場へ。
この地に花開いた、美しい文化に思いを馳せることができた。
また、命を懸けて、博物館からこれらの宝を運び出し、守っていた人々がいたことも
知ることができた。
 

 



























「一日も早く、人々の宝物、心のよりどころである文化財が
アフガニスタンに戻れる日がきますように」
祈りながら、緑の色が濃くなってきた上野の森を後にした。

 

 

2016年4月22日金曜日

白金台~高輪台(三友居・畠山記念館)


連日のぐずぐずした空模様、昨日の雨が嘘のような、
からりとした初夏の空が広がった。

1ヶ月前に企画し、ランチの店の予約をしたので、
お天気までは読めるはずもなく、
全く運がよいとしかいいようがない。

11時に白金台駅(出口2)に集合し、歩き始めた。

本日の参加者は5名。
昨秋、根岸の寺・西蔵院で茶席の準備・運営を
一緒に担当したお仲間である。

目黒通りから桑原坂に入り、
目指すは、ランチを楽しむ「三友居・高輪店」であるが、
道行を楽しむために、八芳園に立ち寄り、庭園をめぐってから行くことにした。




















八芳園は、今は亡き茶道の先生方がまだお元気だった頃、
記念茶会を催したところで、20代だった私も「お運び」で参加した。
懐かしい場所だ…。
木々の緑と、来客のとりどりの着物の色・色・色。
今も鮮やかに目の前に浮かぶ。

















今日は、庭園内で、何組もの記念写真撮影中のカップルに出会った。
新緑に婚礼の衣装が映え、美しい写真が撮れたに違いない。

八芳園を出て、明治学院の脇を通り、桜田通りを越えると、





















高輪警察署と消防署のレトロな建物が見えた。
警察署の隣りには、高野山別院も見える。
 
警察署前の交差点を左折し、二本榎通りに入る。
この通りは、日本橋を出て品川の宿ヘと続く旧東海道であるという。
地図で見ると、たくさんのお寺が通り沿いにある地域である。

































(近くの松光寺の前に掲げられた江戸期の古地図)

ちょうど12時、「三友居」に着いた。
京都に本店を構える茶懐石の店である。







































卯月のお料理は、筍と鯛づくし。

繊細さが際立った盛り付け、素材を生かした味付けが
いかにも京都のお店らしい。






























懐石料理、器、茶事の流れ、作法、流派による違いなど
「お茶事」についての話が弾む。
静かな空間で、ゆったりとした時を過ごさせてもらえた。

2時間近くいただろうか、お店の方とも言葉を交わしつつ、
外へ出れば、通しの向こう側に、和菓子店「柳屋」。



















高輪名物の小ぶりのどら焼き「布袋焼」はすでに売り切れていたが、
ご店主の「お柏はいかがですか?」の一言で、
柏餅をいただくことにした。











家に帰ってから味わったが、
晒してすっきりとした味わいの餡が印象的だった。

次は、高輪台駅に向かい、10分ほどの道のりだ。
車の通りが激しい桜田通りと二本榎通りは避け、
その間にある「仲二本榎通り」を選んで歩いた。

さらにその先、「畠山記念館」へ。

畠山記念館の手前には、今は大きな白い洋風の建物が建っている。
かつてこの周辺は「般若苑」があり、茶事を行ったことがある、と
懐かしむ声も上がった。

変わらぬたたずまいの記念館の門に辿りつき、ほっとする。
新緑の美しい庭と茶室を眺めながら本館へ。

現在は「光琳とその後継者」展を開催中(2016/4/2~6/12)。






































記念館蔵の光琳作品、光琳の周辺で活躍した弟・乾山、渡辺始興はじめ、
江戸で光琳に傾倒し、研究をつづけた酒井抱一の絵画や工芸作品が展示されている。

展示室内に設えられた茶室に入り、
お抹茶もいただいた。

暗い中に浮かび上がる、床の間の白い芥子の花が印象的だった。
作品に近寄ったり離れたりしながら眺め、感想を交わすのは楽しく、
今日、友人たちと来ることができたことをしあわせに思った。





















解散は、16時過ぎ。
豊かにしげる木々に見送られながら高輪台駅に向かった。


2016年1月6日水曜日

追悼・池田重子さん 「日本のおしゃれ展」へ託した想い

池田重子さんの着物コレクションを紹介する「日本のおしゃれ展」が
銀座松屋で開催されている(2015/12/30-2016/1/18)。




















うかつなことに、池田さんが2015年10月(享年89歳)に亡くなっていたことを
この展覧会の案内を見て初めて知った。

池田重子さんのコレクションは、明治・大正・昭和初期にかけて
着物文化が独特の深みを増す時代のものを集めている。

いまや1万点を超す数になっているコレクションのきっかけは、
50歳を過ぎた頃に出合った一個の帯留めだったと聞いて驚く。

ものすごく精力的にコレクションに取り組み続けていたことがわかる。

「日本のおしゃれ展」は1990年代、伊勢丹美術館で毎年続けて3回ほど開催され、
2000年代になって、同じタイトル「日本のおしゃれ展」で銀座松屋でも
開かれるようになった。
何度も観ているが、観るたびに、
日本の美を誇らしく思う気持ちにさせてくれる。

よくぞこれだけのものを、美しい形で残しておいてくださった・・・
と感謝の念が湧きおこる。

さらにすごいと思うのは、このコレクションを自らコーディネートした形で
残しておいておかれたことである。
着物、帯、帯留などの小物、一点一点だけでも素晴らしい芸術品なのに、
それらを池田さんらしい審美眼によって組み合わせボディに着せることで、
着物はこちらに向かって有機的に語りかけてくる。
「そこがまさに着物の美なのですよ」と池田さんが語りかけてくるようである。

かつて、講演会の講師をお願いし、目黒のお店まで車でお迎えにいったとき、
車中でお話を伺ったことがある。

「着物についての知識を深めるにはどんなふうに勉強したらよいのでしょう?」
という私の質問に対し、それが彼女の信念であると言わんばかりに、
「まず着ることです。着るしかありません」。きっぱりと言われた。

着物が日常着でもある時代、ハレの日の着物の中に、どれだけこころを込め、
おしゃれの極みを発揮したのだろうか。
そこには、いまの私達とは比べようもないほどの労力とこころの使いようがあるように思われる。

池田重子さん、ありがとうございます。
どうか安らかにお眠りください。

























2016年1月3日日曜日

船橋市・下総二宮神社へ


平安貴族の藤原時平の祀られている「下総二宮神社」(船橋市三山)へ
一度行ってみたい、とずっと思っていた。

近所の洋菓子店で「高津姫クッキー」を知ったのは、
ちょうど1年前のこと。



















京のみやこで生まれたお姫様が逃れてきたのは
この八千代市・高津だった・・・という物語に、一気にこころを奪われた。
そして、昨年2月の寒い日、姫が祀られているという「高津比咩神社」へ

娘・高津姫の神社から出た神輿が
父・時平の神社へと向かうのが「七年祭り」。
小林千代美さんはその著書のなかで、
“父娘再会”の場面を感動的に記してくれている。





















7年に1回のお祭りは見られなくてもいいから
二宮神社には行ってみたい。
そう思い続けていた。

今日は、夫が運転する車に母を乗せて、参詣となった。
成田街道沿いにある薬園台公園のあたりから
南へ細くのびる道路を走っていく。
道路は参詣に向かう車で混んでいた。

いまや「ふなっしー御守」などでも有名になっているらしい。

道路沿いにある鳥居をくぐって
石段を降りると、細い小川のような流れがあり、
それを越えるとまた石段。
上に社が見える。




神社は大きな木々に囲まれた空間。
とくに鳥居の側に立つ銀杏の木の大きさには驚いた。
天然記念物にも指定されている。




鳥居の横にいる狛犬。
間抜け面(ごめんなさい!)に癒やされる。


 




















拝殿の横にも狛犬が。
こちらの方が時代的には新しそうだ。





拝殿も、後方の本殿も、木彫が細やかで素晴らしい。

高津比咩神社の、いかにもお姫様を祀った感じの社殿を
思い浮かべながら、この繊細さや気品はやはり、
姫のお父さんを祀るのにふさわしいと思った。

藤原時平といえば、菅原道真の政敵である。
京都での政争の末、時平は道真を大宰府に左遷したが、
その2年後道真が亡くなると、京の都は落雷や疫病にみまわれ、
人々は道真の祟りと恐れた。
時平も39才の若さで亡くなり、時平の奥方と高津姫は、
祟りを恐れて、舟で遠く下総の地までやってきて、
高津の地(現八千代市)に移り住み、その地で一生を終えた。

時平は、道真側からみると憎き悪役であるが、
実際には有能なリーダーでもあったという。

この三山(みやま)のあたりは、平安時代には
藤原北家の荘園がひろがる地域であったらしい。





















大阪で生まれ、結婚後30代で東京へ。
50代からの20年間を太宰府で過ごし、
道真についても詳しく勉強したわが母(85才)。

70代からは、初めて住む場所・八千代で過ごすことになって
現在に至る。

京都・太宰府・八千代・・・。このつながりを
本当なら母が一番面白がってくれるはずだが、
説明した時には、「ホント~!」と一応リアクションはあったものの、
本当にわかっているかどうかはあやしい。

まあ、一緒に足を運べただけでもよしとしよう。